思い出ぼろぼろ・・

とある本を読んだ影響もあってか・・昨夜は涙が止まらなくなってしまいました。
その本はエッセイで、自分の両親が歳をとって徐々に弱っていく様であったり、愛犬が突然亡くなってしまったその喪失感だったり、昨年の3月11日とそれ以降の日々についても綴ってあったりして、色々思い出されたり感じさせられてとても痛かったからです。
ちょうど昨日は母と会ってとても楽しい時間を過ごして、でも楽しい中にも最近は切なさのようなものもあって、別れ際にはなんだかいつも泣きたくなってしまうのですが、それは、両親が歳をとってきて、年齢的にはいつか先立たれてしまう事実が、昨年夫のお父さんが突然亡くなってしまったこともあって、よりリアルに身近に感じられるようになったからだと思います。
母とは、特に更年期中は毎日ケンカで相性最悪!と思ってきましたが、それでもそのさなかでも本音をぶつけ合ってこれた信頼感と、結婚してからは干渉されることもなくなり(もうしない!との母の宣言どおり)適正距離がとれたことで本当に仲良くなれたので・・別れを想像するだけで恐ろしくなるのだと思います。
「最愛の母」と言っても過言なし!というか今や良き友人のような人。
一方父はというと・・一緒にいても心底からリラックスとかできない上に、生理的にもちょっとダメかも・・?という事実を最近突きつけられてます。
理由は・・色々あるのだと思うのですが、可能性のひとつとしては、20年前。
「父も家事をやってよ。」とずっと思い続けていた本音を言えた時、これでやっと本音で語り合える父子になれるかも・・♪と思った瞬間ボッコボコにされて・・さすがに自分がかわいそうな気がしてしまいます。。
しかも、未だになぜそこまでキレたのかわからないまま。一体あれはどういう出来事だったのか、改めて呆然・・。
そもそも父は何も言わなくても家族なら(特に妻なら)わかってくれるはず・・という私からすると甘ったれた大昔の男性タイプで、言葉がそもそも足りない人なんですよね。そういうとこも本当に嫌で。だから元々コミュニケーション不足な関係で、それも苦手要素なのだと思います。
もちろんその件についても説明や謝罪のひとこともなく・・。。。
うやむやのまま今に至っている感じです。

昨夜は父が今亡くなったらどうだろ・・と考えてみたりしました。
昨年夫のお父さんが亡くなった時は、問答不問で涙があふれてきたけど、夫のお父さんは理想のお父さんだったからなぁ・・。もちろんきっと実の子でなく義理だからの距離があって美しく見えていたところもあるのだと自覚はしていますが。
ただ特に、夫の実家で炊事・・特に後片付けは手も荒れるし勝手が違ったりして正直キツイのですが、お父さんが生きている頃は、食後はすかさずお皿を運んでくれたり「プロに任せようね」と言ってくれて食洗機に入れてくれたり、美味しい紅茶を入れてくれたり、料理も自分で作れたりして・・炊事との間に壁がなくて素敵だなぁと思っていたし、特に炊事では本当に助けられていたし、娘であるお姉さんもすごく可愛がっていて父子の距離が近くていいなぁと思ってたんですよね。
それに引き換え自分の父は・・とか思ったり。
特に老後は料理も作るよとか言ってたのに、結局炊事に関しては全くしてくれてなくて、娘としてもなんだかなぁ・・もっと母を助けてやってよ・・とか憤りを感じることもあったり・・。
確かに炊事以外の家事は手伝ってくれているようですが、結局自分がしたくないこと以外の範囲でしかやらないんだなぁ・・それって本当に手伝いといえるのかな・・と感じたりしてます。
それに、娘にとっても家事(特に炊事)のできない父って、意外とプレッシャーになるんですよね・・。
先日遊びに来た2歳の孫(私にとっては甥っ子)に「おじいちゃんも何にもできなくておばあちゃんに任せきってるから赤ちゃんなんだよ〜」とか言っていて、正直ぞっとしてしまいました。何でそんな甘えん坊モードなのか??

・・だけど、それでも自分の父親。いいところだってあるし、他の面では救われたこともある。でも、そんな訳で色々と、溶けないわだかまりを抱えたまま、本音もなかなか言えず、何だか一緒にいても安らげないのが、とても悲しいし何とも言えず不快なのだと思います。
特にどうしてあの時あんなに怒ったのか?あそこまで我を忘れて殴ったのか??謝って欲しいと・・思ったりもするんですけど、自分から切り出すのは・・まぁまた殴られても返り討ちにしたる・・とも思ってますし(なんてね)ただ反応如何よってはもっと傷つくかもしれないし・・怖さもなくはなく、しかも、自分から切り出したら意味がないこともあるかな・・とか、自発的に言ってくれたら・・なんて等々、昨日死というものを身近に感じた時、父に関する事にも色々気づかされました。
もし今父が亡くなくなったら、本当の意味で和解することなく逝かれたら・・きっと後悔する・・のかな・・。しそうだな・・。でも直接今さら蒸し返すようなパワーが沸いてこないなぁ。。
そんな風に、両親の死だけでなく、芋づる式に他の大切な人たちの死まで想定してしまい、もうボロボロに・・。
亡くなった祖父母のことも・・まぁお盆だし・・思い出したりして・・もう置いて行かれたくないな・・と痛切に思いました。
年齢的な意味では、特に母に。もちろん平均寿命的には親が先立つ可能性が高いというだけで、実際にどうかは個々の寿命にかかっているわけで、気休めでは「私が先立つかもしれないしね」なんて考えてみたりする時もありますが、基本パワフルな母が「娘に先立たれたらもう立ち直れないと思うわ」とか言っていたのを聞いているので、母の幸せのためにも私が先立つことは(もちろん他の理由でも)できないなぁと思っています。
以前は両親が東京にいて物理的に離れていることで、喪失の痛みは多少免れることができるかも・・とどこかで思ってきたのが、急に身近で暮らすことになって、その辺り、整理と覚悟をしなくてはならないのかもしれません。
父とも向かい合う必要があるからこそ・・なのかもしれなくて、正直気が重くなりますが、これも人生の大掃除の一環なのかもしれないと、薄々観念し始めました。きっと過去(世)からの記憶も大きな要因なのだと思いますし。

一方で大切な人たちに愛や感謝の気持ちもあふれてきて、色んな意味で泣けました。

そんな涙の大掃除のきっかけ本

人生で一番恐ろしかった・・3月11日からの日々も思い出されて、命について見つめさせれれました。
まだ読み途中ですが、ブログでたまたまリアルタイムに読んでいた部分からこの後ばななさんは「最愛の父」を失うことになるのを知っているので、また改めて感じるところが痛々しくあると思います。