乱気流の春

イライラ・・情緒不安定・・体調不良・・。
ストレスやプレッシャーで吐き気がして眠れない夜・・。
自分はどうしてしまったんだろう・・不安になるほど乱れた4月でした。


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そんな時・・というか昨夜、とあるサイトを見て気づいたのは・・

自分自身が、頭デッカチになってしまっていて、未来の不安や、過去へのしがみつきでいっぱいいっぱいで、全く「今、ここ」にいない状態だった・・という事です。

「思考は常に未来や過去のものであり、感覚は今ここにだけある。もし考えすぎたら、あなたのエネルギーは感覚からそらされてしまう。」

その状態が続いていくと・・感覚がマヒして、愛を感じたり贈ったりする事ができなくなるそうです。

つまり、思考(頭)の奴隷になってしまい、愛ではなくエゴの固まりになってしまうという事・・。

最近の私は本当にそんな感じだったんだなぁ・・と思いました。

気がつくと、確かに今ここではなく、未来や過去や妄想の世界にいたりして、なかなか今ここにいられない自分がいました。

いくつかある苦手な事と、いよいよ向き合っていかねばらないプレッシャーや、色々なストレスから、今ここにいられず、無意識に逃げていたような気もしています。

それと、思考(頭・脳)の使い方がマズイ・・のも以前からわかっていて、なにか有効な使い方がないか探し続けてきたのですが、再度本腰を入れて探す必要性も感じています。

日曜日、体験レッスンに伺ったアクリル画教室の先生が言っていた「絵を通じて出会える人達がいるし、とにかく絵が大好きなんですよ」という言葉が印象的で、いいなぁ〜と思いました。

私も、人とつながっていける事、家以外の自分の居場所、そして脳の有効活用、魂が歓ぶ事・・そんな事を見つけたいと改めて思いました。

あとは、自分の考えが、未来の事なのか過去の事なのか注意して、「今ここにいる」感覚を意識していこうと思いました。

それと、印象的かつ、タイムリーだったのが・・
「怒りやネガティブな時は何もしてはいけない」ということ。
例えば、カ〜ッっときた時に怒りを相手にぶつけちゃいけないということ・・。
なぜなら、「自分が否定的な時に何かをすれば、相手も否定的になる。否定性はさらなる否定性を引き起こし、怒りはさらなる怒りをもたらし、敵意はさらなる敵意をもたらす。」
しかも・・
「怒りが最高潮のときに行動してはならない。さもなければあなたは後悔するだろう。そしてあなたは反作用の連鎖を創り出し、カルマのなかへと入り込む。」
つまり、新たな業(カルマ)まで創り出してしまうそうです。。

そんな怒りやネガティブな時は・・
「怒りがやってきても、あなたは何もしない。ただ静かに坐ってそれを見守りなさい。それに反対してはいけない。それを抑えてはいけない。ただそれを見守り、忍耐し、何が起こるか見なさい。生じるがままにまかせなさい。」
そうしている内に・・「怒りの頂点も超えて、輪が回転し、怒りがゆるんでくる。エネルギーが解放されてくる。」
それが生の基本的な法則のひとつだそうで・・
「あらゆるものはその反対のものへと絶えず変化する。」そうです。
つまりは・・
「ひとの中には周期的な変化があり・・善人が悪人になり、悪人が善人になる。聖人には罪人の瞬間があり、罪人には聖人のような瞬間がある。人は、ただ待たなければならない。」
つまり、一足飛びに善人や聖人になろうとするよりも、今の自分の状態が善人なのか悪人なのか把握して、悪人(ネガティブな時)は行動を起こさず、輪が反転する時まで待つことが大事なんだろうな・・と思いました。

最近珍しく、怒りをその場で表現せず、しばし時間を置く事で、怒りが変容し、解消していく感覚を、ちょうど経験したところだったので、とても腑に落ちました。

そして、肯定的な気分になった時に、アクションを起こしましょう!という事でしたが・・本当に納得です。

今までの私ときたら・・感情や心配を溜め込んで後に爆発して取り返しがつかない事にならないようにと、こまめに検討しては・・実は思考の奴隷になっていた上に、感情の表現も、わだかまりにならないように、早めに伝えなければいけないと思い込み・・待つことをせず・・業まで作り出してきてしまったように思います。

それと印象的だったのが・・
「無でありなさい。ひとたび自分はひとかどの人間だと考えはじめたらあなたは止まってしまう。そうなると愛は流れない。愛は「だれでもない人」からしか流れない。愛は無のなかにしか住まない。あなたが空っぽのとき、そこに愛がある。あなたがエゴでいっぱいのとき愛は消え去る。」
(※宗教っぽいですが宗教サイトとかではありませぬ。)

・・まさに最近の私は、エゴでいっぱいの自分だったと思います。

改めて・・本当にごめんなさい。。(for夫・・一番の被害者だと思われ><。。)

今ここにいること、感覚を大事にして、とにかく思考に注意!私の場合いっそ何も考えないって位の方が、個人的なバランスとしてはいい位かも・・。
それと待つ事・・。自分の今の状況を把握しておくこと。
ひとかどの人間・・つまり特別な人間になろうとしないこと・・。
注意点多いですが、ここから新たに一歩一歩進んでいきたいと思います><。。
色んな意味でバランスを崩してしまったここ数ヶ月でした・・。
得ることもありましたが、4月の残り数日は穏やかに過ごせたらと思います。


自分が読み返すためにも全文をそのままコピペしておきます。変わった文章ですが、ところどころ個人的にドンピシャで感動しました。
「愛にいたる4つの段階」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

愛は出会いだ。死と生のオーガスミックな出会いだ。愛を知らない限りあなたは取り逃がしている。あなたは生まれ、生き、死んだ・・・だが、取り逃がした。あなたは途方もなく取り逃がした。完全に取り逃がした。・・・あなたは中間にある合間を取り逃がしたのだ。その合間はもっと高い頂点、至高体験だ。
  
それを達成するために覚えておくべき四つの段階がある。その第一段階とは、<今、ここに在る>ことだ。・・・なぜなら、愛は唯一、今ここにおいてのみ可能だからだ。あなたは過去の中で愛することはできない。(中略)
  
だから第一段階は、<今、ここに在る>ことだ。未来と過去は思考をもたらし、思考は感覚を破壊する。そしてあまりにも思考に取り付かれた人は、やがて自分にはハートもあるということを完全に忘れてしまう。
  
もし考えすぎたら・・・そして、思考は常に過去、あるいは未来のものだ・・・あなたのエネルギーは感覚からそらされてしまう。感覚は<今ここ>にある。もし、あなたのエネルギーが思考のパターンの中へと動いていたら、そのときには感覚の中に入ってゆくだけの十分なエネルギーがあなたにはないだろう。そして愛は起こり得ないことになる。
 
あまりにも思考に入り込んでいる人は、やがて「感覚」にはどんな発言権もないような状態へと移りはじめる。感覚に耳を貸さないと、やがて感覚はその人を見捨てはじめる。ハートが何を意味するのか知らない無数の人々が、この状態にある。ハート(心臓)はただのポンプだと彼らは考える。
 
彼らの注意は完全に頭に集中している。頭はひとつの末端だ。それは必要とされる。 よい道具だ。だが奴隷として使われなければならない。それが主人であるべきではない。ひとたび頭が主人になってハートが置き去りにされたら、あなたは生きて死ぬだろうが、神とは何かを知ることはない。なぜなら、愛とは何かを知ることがないからだ。
  
はじめて触れると、愛のように見える暗い合間が、あなたがその中にすっかり失われると神になる。愛は神のはじまりだ。・・・あるいは、神が愛の究極の頂点だ。
 
愛に至る第二の段階は、「あなたの毒を蜜に変容させることを学ぶ」ことだ。というは、多くの人々が愛するが、彼らの愛はいろいろな毒によって非常に汚染されているからだ。憎しみ、嫉妬、怒り、所有欲によって・・。千とひとつの毒があなたを取り巻いている。愛は繊細なものだ。怒り、憎しみ、所有欲、嫉妬をちょっと考えてごらん。どうして愛が生き残れる?(中略)
 
だから覚えておくべき二番目のことは、あなたの毒を蜜に変容することを学ぶということだ。どうやってそれらを変容させるのか?とても単純な過程がある。実のところ「変容」と呼ぶのは正しくない。なぜなら、あなたは何もしないし、ただ忍耐が必要なだけだからだ。これは私があなた方に話している、もっとも偉大な秘密のひとつだ。
 
それを試してごらん。・・・怒りがやってきても、あなたは何もしない。ただ静かに坐ってそれを見守りなさい。それに反対してはいけない。それを抑えてはいけない。ただそれを見守り、忍耐し、何が起こるか見なさい。生じるがままにまかせなさい。
 
ひとつのことを覚えておきなさい。毒が自分に取り付いているときには、けっして何もしてはならない。ただ待ちなさい。その毒が反対のものに変化し始め・・。

これが生の基本的な法則のひとつだ。つまり、あらゆるものはその反対のものへと絶えず変化する。まさに私が、あなた方に話してきたように、男性は女性に変わり、女性は男性に変わる。あなたの中には周期的な変化がある・・・善人が悪人になり、悪人が善人になる。聖人には罪人の瞬間があり、罪人には聖人のような瞬間がある。人は、ただ待たなければならない。
 
怒りが最高潮のときに行動してはならない。さもなければあなたは後悔するだろう。そしてあなたは反作用の連鎖を創り出し、カルマのなかへと入り込む。それが「カルマに入り込む」という意味のすべてだ。あなたが否定的(ネガティブ)な瞬間に何かをすれば、あなたは連鎖のなかに入り込むことになる。そしてそれには終わりがない。
 
あなたが否定的な時に何かをすれば、相手も否定的になる。相手には何かをする用意がある・・・否定性はさらなる否定性を創り出す。否定性はさらなる否定性を引き起こし、怒りはさらなる怒りをもたらし、敵意はさらなる敵意をもたらす。そうやって物事は果てしなく続く・・・そして人々は幾世にもわたって互いに、もつれ合ってきている。それでも彼らは続ける!
 
待ちなさい。怒っているなら、それは瞑想をするための瞬間(とき)だ。この瞬間を無駄にしてはならない。怒りはあなたの中にとても大きなエネルギーを創り出している。それは破壊することができる。しかし、エネルギーは中立だ。破壊することができるその同じエネルギーが、生を振りまくこともできる。
 
ただ待ちなさい。待ち、そしてあわてず何もしないでいると、ある日あなたは内なる変化を見て驚くだろう。あなたは怒りでいっぱいだった。そして怒りは高まりつづけ頂点に達する・・・が、そのとき輪が回転する。あなたはその輪が回転しているのを、その怒りがゆるんでいくのを、エネルギーが解放されるのを見ることができる。

そして今やあなたは、肯定的な気分の中に、創造的な気分の中にいる。今こそあなたは何かをすることができる。今こそやりなさい。常に肯定的なものを待ちなさい。
 
そして私が言っているのは、抑圧ではない。私は、否定的なものを抑圧しなさいと言っているのではない。私は否定的なものを見守りなさい、と言っている。(中略)
自分が肯定的なときに行動しなさい。肯定性を強いてはいけない。肯定性がひとりでにやってくるのを待つのだ。これがその秘密だ。「あなたの毒を蜜に変容することを学びなさい」と言うとき、私が意味しているのはこのことだ。
 
そして三番目のこと。分かち合いなさい。・・・それが否定的なときはいつも、それを自分にとどめておきなさい。肯定的なときは、いつも分かち合いなさい。普通人々は自分の否定性を分かち合う。彼らは自分の肯定性を分かち合わない。人間はまったく愚かだ。彼らは、幸福なときには分かち合わない。とてもケチだ。不幸なときには、この上もなく気前がいい。(中略)
 
だから愛に至る第三の段階は、あなたの肯定的な面を分かち合うこと、あなたの生を分かち合うこと、あなたの持っているすべてを分かち合うことだ。

あなたとともにある美しいものは、それが何であれ、ためてはいけない。あなたの知恵、分かち合いなさい。あなたの祈り、分かち合いなさい。あなたの愛、あなたの幸福、あなたの歓び、分かち合いなさい。真珠を持っていたら投げ与えない・・。

彼らがブタなのか聖人なのかを気にしてはいけない。ただそれらを投げなさい。重要なのは与えることゆえ。貯めことはハートをだめにする。あらゆる貯蔵は有毒だ。もし分かち合えば、あなたのシステムは毒から解放される。(中略)
 
そして第四番目。無でありなさい。ひとたび自分はひとかどの人間だと考えはじめたらあなたは止まってしまう。そうなると愛は流れない。愛は「だれでもない人」からしか流れない。愛は無のなかにしか住まない。あなたが空っぽのとき、そこに愛がある。あなたがエゴでいっぱいのとき愛は消え去る。
 
愛とエゴはいっしょに存在できない。愛は神とともに存在できるが、エゴとともには存在できない。なぜなら、愛と神は同義語だからだ。愛とエゴがいっしょに在ることは不可能だ。だから、無でありなさい。無はすべての源だ。無は無限の源だ。無が神だ。無はニルヴァーナ(涅槃)を意味する。
  
無でありなさい・・・そして無であることで、あなたは全体なるものを達成していることになる。「何か」であることで、あなたは逃す。無であることで、あなたは我が家に到着する。